倉敷市立磯崎眠亀記念館

 この建物は、明治7(1874)年、眠亀42歳の時に自宅兼研究所として建てられた木造2階建・通り土間を持つ2列型の町屋で、物資輸送用に設けたスロープ・吹き抜け、回転と横滑りにより開閉する雨戸など、発明家としての眠亀らしい工夫が随所に見られます。  眠亀は、この2階で研究を重ね、明治11(1878)年に他に類のない巧緻美麗な花莚「錦莞莚」を発明し、その後、英国や米国などへの輸出の販路を開拓し、日本の重要輸出品にまで成長させ、実業家としても成功をおさめました。  そうした眠亀の偉業を伝承する記念館として、実物の錦莞莚や関係資料を展示しています。(建物:国登録文化財、錦莞莚:市重要文化財)  また、平成27年1月に『花むしろ工房』がオープンし、い草の手織体験(無料)でできるようになりました。(要申込)

住所

倉敷市茶屋町195

電話番号

086-428-8515

開館時間

9:00~16:30

休業日

月曜日
年末年始:12月28日~1月4日
祝日の場合は翌日が休館

利用料金

無料

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倉敷天文台

体験|倉敷エリア
倉敷天文台は、一般の人が観望することができなかった大正時代に、「広く一般に天文知識を普及するため」、大正15年(1926)、元倉敷町長の原澄治氏によって設立された日本最初の民間天文台です。 観測室の規模は、東西4.4m、南北5.3mで、1.1mのレンガ造りの基礎の上に、桁高2.2mの木造下見張りの軸部が乗っています。屋根は切妻、鉄板張りで、室内の歯車のついたハンドルを回転させることにより、屋根が破風の角度に沿って東西方向に滑り降りるように開くという非常に珍しい構造をもっており、科学史上においても貴重な建物であることから、平成13年8月28日に国の登録有形文化財に登録されました。 長年倉敷天文台主事を務め、生涯に彗星12個、新星11個を発見した世界的な天文家・本田實氏(倉敷市名誉市民)は、この天文台で数多くの「新しい星」を発見しました。倉敷天文台の歴史と、本田實の研究・功績を紹介した記念館が同じ敷地にあります。 観測室の老朽化に伴い、本田實生誕100年となる平成25年に市が創立当時に近い姿で、ライフパーク倉敷に移築・復元を行っています。 なお、倉敷天文台では、建て替えた新しい観望室で、引き続き天体観望会を実施しています。 ※観望をご希望の方は1週間前までにホームページよりご予約ください。 ※天候不良の場合は、中止となります。
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1917(大正6)年に倉敷町役場として建てられた洋風木造建築。現在は観光案内所として観光ガイドや観光施設などの紹介を行うほか、無料休憩所として自動販売機やコインロッカー、トイレを備えています。観光の起点や情報収集に便利なスポットです。 ※倉敷市指定重要文化財 くらしき川舟流しのチケットもこちらで販売しております。  施設の長寿命化、バリアフリー化等、利用者の利便性向上を目的に行っていた改修工事を経て、令和2年2月16日(日)にリニューアルオープンしました。     【リニューアルオープン後の施設利用案内】   ◆利用時間:9時~18時        (年中無休。ただし、年末年始は変更の場合あり。)   ◆連絡先:観光案内所(086-422-0542)   ◆施設内容    1階…観光案内所、休憩所、コインロッカー      自動販売機、公衆トイレ      「くらしき川舟流し」チケットの販売    2階…休憩所、授乳室、おむつ交換台    【主な改修内容】   ◇1階多目的トイレ内に、ユニバーサルシート    オストメイトを設置しました。   ◇トイレの便器数を増やし、    洋便器には温水洗浄便座・暖房便座を完備しました。   ◇エレベーターを新設し、    2階を休憩所として自由にご利用いただけます。    (2階へは、新設したエレベーターでの利用となります。     階段の利用はできません。)   ◇2階に授乳室を設置しました。    (おむつ交換台、流し台等もご利用いただけます。)    ※授乳室にも、おむつ交換台(1基)を設置しました。   ◇諸室の模様替え、新耐震基準に準ずる耐震壁や    梁等の新設、屋根瓦の葺き直し、外部内部壁等の    塗り替えなどの工事を行いました。  問い合わせ先   倉敷館(観光案内所) TEL.(086)422-0542   観光課 TEL.(086)426-3411   
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足高神社

歴史・旧跡|倉敷エリア
現存する神社記録の最古の書は、平安時代・醍醐天皇延長5年(927)に編纂された延喜式神名帳である。この書のなかに記載されており、備中18社の1に数える最古社である。 御鎮座の年代は、第10代崇神天皇の御代に勧請された。 寛和元年(985)花山天皇の御代、足高神社神宮寺神遊山、神宮寺遍照院に三重塔が建立された。 天暦元年(947)2月16日村上天皇は藤原兼成卿を遣わして、奉幣御祈願の儀があった。翌3年不思議な霊験があって神殿を御造営になり、有紋の御幕勅書を奉納され、乾元元年(1243)後二条天皇の御代、足高八幡大菩薩の勅額の下賜があった。 延慶元年(1308)花園天皇の御代、勅額と獅子頭一対を下賜。また、建徳元年(1370)九州探題として赴任の今川定世公は、海路の航海の安全を祈願され狛犬を奉納した。 徳川時代備前池田公の支藩、鴨方池田氏の祈願所として尊崇せられ、代継ぎの際は、代々必ず参拝された。 足高山は、4百年前は、海中に浮かぶ一孤島であり、小竹島、笹島、戸島、藤戸島、吉備の小島、奥津島とも呼ばれ、東西航行の要路であり、潮流が激しく鳴門の如く、渦が巻いていたといわれており、通る船は、全て帆を下げ、島上の足高の神に、敬意を表し難を逃れた為、「帆下げの宮」と称して、崇め奉られた。古の海路は、現在、国道2号線(旧バイパス)となり、船に代わり、車の交通安全が盛んとなっている。(岡山県神社庁より抜粋)
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